目次
キャリアサマリー
2002年
他店での修業期間を経て、「金多樓寿司」で勤務を開始
2015年
「金多樓寿司」を改装し、さらに精力的に江戸前ずしのあり方を模索している
江戸文化が息づく東京・神田に店を構える「金多樓寿司」(創業は1926年)の3代目。祖父の代から受け継いだ江戸前の技法に自身の個性と現代的な感覚を巧みに融合させ、次世代の〝街のすし屋〟を目指す。伝統的な江戸前の技法である「本手返し」の使い手でもある。
すしや料理を通して日本の四季を伝えることをモットーにしながら、伝統の味と技に現代風のアレンジを加えつづけています。実際、うちの店がある東京・神田は江戸時代に町人の街として栄え、現在に至るまでその文化の香りを残しつづけていますが、その一方で伝統にあぐらをかいてしまっている感も否めません。そこで、私は2015年に大がかりな改装に取り組むことにしました。昭和のすし屋はすしをサッと食べて帰る場所でしたが、いまやすし屋はプライベートでもビジネスでも大切な人とすごす場になっており、ある種の品格が求められます。だから、昔ながらの〝街のすし屋〟の風情を残しながら、他地域の人たちやインバウンドの皆さんにも当店を〝目的地〟にしてもらえるような店にしたいと考えたのです。実際、日本の老舗の多くは伝統にあぐらをかくだけでなく、新しい要素を次々と取り入れています。羊羹で有名な虎屋さんの「TORAYA CAFÉ」などの取り組みはまさにその好例でしょう。そういった様子に感じ入り、うちの店についても同じような方向性を掲げていくべきだと思ったのです。
この改装の結果、外観も内観もスタイリッシュになり、お客さまにはゆっくりと大切な人との食事を楽しんでいただけるようになったと思います。また、その一方で昔から使っていた看板(巻物を記したもの)やイスの背板などをさりげなく残すことで、老舗の雰囲気も感じていただけるようにしました。
すし職人としてのモットー
素材を第一と考え、仕入れに最善を尽くしています。以前は父が取引していた仲買人を通してネタを仕入れていましたが、もっと幅広い仕入れがしたいと思い、もともと祖父のもとで働いていた東京・三宿の「金多楼寿司」の大将のもとを訪ね、仲買人を何人か紹介してもらったことがあります。しかし、いくら紹介があるからといって、すぐさま信頼関係を築けるわけではありません。毎日、毎日、市場に顔を出し、コミュニケーションをとることで顔を覚えてもらい、時には叱咤されながら魚の触り方や扱い方などを教えてもらいました。そうやっていくうちに、仲買人とも少しずつ信頼関係ができ、良い魚を回してもらえるようになりました。
もちろん、最高の素材を生かすための〝仕事〟にもこだわりがあります。私は元来、素材の味や香りを引き出すことをモットーにしており、調味料をはじめとした味付けは極力アッサリさせるようにしています。幸いにして祖父の代から伝わる赤酢を使ったシャリは幅広い素材に合わせることができるので、今もこのシャリを大切にしています。そして、握りに関しては昔ながらの本手返しによって、口ほどけの良さを追求しています。そのほかで、昔ながらの味が感じられるものといえばアナゴでしょうか。他店よりも倍以上の時間をかけてゆっくりと炊き上げることで、常温でもフンワリと味わい深く仕上がっています。ちなみに、このアナゴは祖父が店を持つ前、屋台を曳いていた頃に完成させたものだそうで、私も大好きな一品です。
でも、なかには変化させたものもあります。以前のコハダは酢で2、3日ほどしっかりとしめていましたが、今は浅じめにして柔らかく仕上げています。伝統も大切ですが、今のお客さまがどのような味を好むかということも念頭に置きながら、これからも試行錯誤をつづけていきたいと思っています。
すし・料理へのこだわり
子どもの頃はさほど実家がすし屋であることを意識していなかったのですが、学生時代に転機がありました。当時はバブル期で、私はスキー用品店でアルバイトをしていました。スキーが大好きだったこともあって、必死になってスキー用品の知識を頭に入れて、お客さまに積極的にその情報をおもしろおかしく伝えていました。すると、お客さまもとても喜んでくれて、それが売り上げにしっかりとつながっていきました。それが楽しくて、一時は営業マンにあこがれを抱いたほどでしたが、「すし屋は対面商売、営業職の醍醐味であるコミュニケーションがモノを言う世界だ」と考えるようになったんです。それで世田谷で急伸中だった和食屋があるということを耳にし、大学卒業後はその店で働きはじめました。そのときに現代風の店づくりや接客について学んだように思います。
それからしばらくして、すし職人になるには手がはやくなければならないと感じ、本格的に家業に就く前に、食べ放題の店などでとにかくすしを握りつづけました。そして、ある程度、自分の力量に自信が持てるようになった30歳のときに実家に戻ったのです。