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お客さまに喜んでもらえるのが何よりのやりがいですが、それに加え、すしの可能性にチャレンジすることも私にとっては大きなモチベーションになっています。基本的には江戸前のスタイルを好んでいますが、それに固執することなく、すしのあらたな可能性も切り拓いていきたいと考えています。
すし職人としてのやりがい
「すし おおまさ」での修業時代はとにかく「見て、学べ」という時代だったので、最初のうちは仕込みや掃除、出前といった下積みに励みました。冬場に出前と洗い物がつづくときはとくに大変で、常に手にアカギレができている状態でしたね。あと、仕事が終わった後に毎日のように先輩たちが飲み屋に連れて行ってくれたのも印象に残っています。当然、翌日も朝早くから仕入れなどがあるので辛い日も多かったのですが、振り返ってみると、そのときに酒の飲み方やコミュニケーションのとり方を学べたように思います。
そして、修業をはじめて3、4年が経った頃、ようやくつけ場に立つ機会が巡ってきました。常連のお客さんが「握ってみないか」と言ってくれたのです。そのときは「まだまだだね」と言われてしまいましたが、それから必死に握りを勉強して、数カ月後に同じお客さんから「よくなったね」と言ってもらえたときの喜びは忘れようがありません。そういったことの積み重ねで腕を磨くことができましたし、この「すし おおまさ」での8年間のおかげですし職人としての基礎をつくることができました。
その後は独立も考えたのですが、まずはいろんなすし屋の仕事を体験してみたいと思い、「築地 寿司岩 総本店」(東京都中央区)、「下高井戸旭寿司総本店」(東京都世田谷区)などを渡り歩きました。そして、3店舗目として注目したのが回転ずし屋でした。当時は回転ずしがブームになりはじめた頃だったのですが、正直、すし職人としては回転ずし屋を少々見下していました。しかし、近所にあった回転ずしチェーン店「独楽寿司」は連日大盛況、その秘密は何なのかと興味を抱くようになり、とりあえず1年ほど働いてみることに。結果的にそれから19年もお世話になったわけですが、当初は回転ずしの現場に慣れるのにかなり苦労しました。それまでは対面商売でじっくりとお客さまと対話しながらすしや料理を提供すればよかったのですが、回転ずし屋ではそうはいきません。覚えきれないほどのオーダーを的確かつスピーディにさばく必要があり、正直、面食らってしまいました。そこで、毎朝6時に店に入って段取りをすませ、自分なりに改善に改善を重ねていきました。おかげで、数カ月後にはその店で一番手が速い職人になることができました。そして、本部にもそういった努力や実績が認められ、新店舗の副店長を皮切りに、店長やエリアマネージャーといった役職を次々と任せてもらえるようになりました。そのつど、店舗経営やスタッフの教育を学ぶことができたのは、私にとって大きな財産になっています。
そんななか、自分にとって印象深い出来事がありました。それは2015年に世界中のすし職人が腕を競う「グローバル寿司チャレンジ」に出場したことです。会社からの要請もあって受動的に参加した大会だったのですが、日本大会の決勝でほかの参加者から「回転ずし店の職人なんて大したことがないはずだ」と思われているのをひしひしと感じ、ヤル気にスイッチが入りました。回転ずしで一日に何百人というお客さまのオーダーに応えてきたからこそ、誰よりもはやく、きれいにすしを握ることができるという自信もあったので、見返してやろうと思ったのです。その結果、日本大会での優勝を勝ち取ることができ、世界大会への出場が決定。それからは1、2カ月、世界大会の準備やリサーチに没頭し、世界大会でも優勝することができました。それからしばらくはテレビなどのマスメディアからの出演依頼などが相次いだので、「独楽寿司」の知名度アップにも貢献することができたと自負しています。
修行中のエピソード
私は「すし おおまさ」などで職人としての基本や礼儀、振る舞い方、そして「独楽寿司」で手早くきれいに調理する技と店のマネジメントを学びました。これらはいずれも職人として、そして店を切り盛りするうえで非常に重要な要素なので、すし職人を目指す方にはぜひとも念頭に置いていただきたいと思います。