目次
キャリアサマリー
1982年
埼玉県に生まれる。中学卒業後、大工仕事や土木仕事、ボクシングなどを経験した後、父が経営するすし店で働くことに。
2012年
数多くのすし店で腕を磨いた後、「鮨 和さび」を開業。コロナ禍の最中に店舗をリフォームし、現在にいたる。
和洋中の名店が軒を連ねる四谷三丁目にあって、気軽に〝本物志向〟に触れられるすし店がある。その名も「鮨 和さび」。店主の水田翔さんは
いかにしてこの店を立ち上げ、現在、どのような思いを抱きながらすしや料理と向き合っているのだろうか。たっぷりと語ってもらった。
できるだけ気軽に〝本物志向〟を味わってほしいという思いを抱いており、すしや料理、そして何より素材に関しては妥協することなく、自分がそのときにベストだと思うものを提供するように心がけています。
また、店内の設えひとつとっても、実はいろんなところにこだわりがあります。カウンターのみの小さな店ですが、常連のお客さんが私の思いを汲んで設計を手掛けてくださったこともあり、とても居心地の良い空間になっています。入口がふたつあるのもそのこだわりのあらわれで、狭い店内だからこそ、他のお客さんに気をつかわずに出入りができるような動線に仕立てられています。そのほか、グレーのレンガを組み上げた厨房の壁、一枚板を使った白木のカウンター、料理道具の一つひとつに〝本物志向〟の上質な雰囲気を感じてもらえると思います。
ちなみに、この内装にリフォームしたのはコロナ禍の最中でした。客足が遠のき、テイクアウトで食いつないでいくことも考えましたが、それだと自分がベストだと思えるすしや料理を提供することができません。そこでふと立ち止まり、これから先のことを自分なりにいろいろと考えた結果、最終的にコロナ禍を「最高の店をつくりあげる準備期間にしよう」と頭を切り替え、思い切って大がかりなリフォームに踏み切ったのです。ありがたいことに常連さんはもちろん、ご新規さんにも喜んでいただけていますし、あらためて自分の店なんだという実感を持てるようになりましたね。
すし職人としてのモットー
現在、「鮨 和さび」はランチもディナーも1万6500円のコース一本(つまみ6~7品、にぎり10貫前後)で営業中です。もともとは立ち食いスタイルでよりリーズナブルな価格帯のコースを提供していたのですが、お客さんから「もっと高くてもいいからおいしいものが食べたい」といわれるようになり、コースを一新することにしたのです。
これが私にとっても正解でした。コースを改定してからは、それまで以上に自分がベストと思える〝仕事〟にこだわれるようになったからです。おかげで、今では米の炊き加減からシャリの味つけ、ネタの選び方や締め方、すしの握り具合にいたるまで、自分の好みを最大限に表現できるようになりました。もちろん、その試行錯誤にゴールはありません。米や酢のブレンド具合ひとつとっても、日々、天気や気候に寄り添った仕上がりになるように改良しつづけています。お客さんの幸せな顔をみるために、これからも自分の〝仕事〟をつねに疑いながら、最善のスタイルを目指していきたいですね。
すし・料理へのこだわり
私は埼玉県出身で、実家が町のすし店だったこともあり、幼少の頃からすしには慣れ親しんできました。ただ、当時は憧れを抱くようなことはなく、物心がついた頃には「すし職人にだけはならない」と決意していました。もっとも、今では町のすし店も素晴らしいと思っていますし、今も現役ですしを握りつづけている父を尊敬していますが。
そして、中学を卒業してからは大工仕事や土木仕事、さらにはボクシングなどに打ち込んだのですが、どれも本気で好きになることができず、いずれも中途半端な結果に終わってしまってしまいました。そんなときに声をかけてくれたのが父でした。「何もすることがないなら店を手伝え」――。そういわれて渋々ながらも父のすし店で働きはじめ、少しずつすしや和食の奥深さに惹かれるようになっていったのです。以来、タイプの異なるすし店や和食店を渡り歩きながら腕を磨き、2012年に「鮨 和さび」を構えることになりました。