尾崎雅也さんの写真

おざきまさや

尾崎雅也

安定感と柔軟性を兼ね揃えた
カスタマーファーストの技と心意気

生年月日
1976年9月13日
店 舗
目白鮨おざき
出身地
東京都
店舗エリア
東京都豊島区目白
その他
東方通信社:月刊コロンブス掲載記事(2020年10月号)はこちら

目次

お客さまの声に耳を傾け、自分なりに考え抜いたすしや料理が評価されたときに達成感を覚えます。もちろん、そのための努力は修業時代から惜しまないようにしてきました。たとえば、常連のお客さまのために記しているノートもそのひとつ。そこには常連のお客さまが何を食べたか、どんな味付けが好みかを記しておき、次に来店されたときに飽きさせることなく、さらに喜んでもらえるようにしています。

イラスト すし職人としてのやりがい

私が修業時代をすごした鮨源高田馬場本店は、帝国ホテルや百貨店にも支店を出しており、財界人や著名人の常連客も数多く抱えていました。ですが、それでいてどことなく気さくで、すし職人にいろいろなオーダーを出しやすい雰囲気のある店でした。振り返ってみると、今の私の仕事の仕方はこの店で培われてきたものだと感じます。

 とはいえ、修業時代はけっして順風満帆というわけではありませんでした。入社してしばらくは誰よりもはやく店に入って掃除などをすませ、営業がはじまってからも洗い物などの雑用に追われつづけました。むろん、そういった細かい仕事の積み重ねが職人としての所作を培っていくのですが、当時の私にはなかなかそのことが理解できず、ときにはふてくされることもありました。

それから3年ほど経つと店の雰囲気にも慣れ、少しずつ調理にも携われるようになりました。しかし、情けないことに今度は慢心からか仕事終わりに飲み歩くようになり、遅刻の頻度が増えていきました。結果、同僚たちとの間にも溝ができ、生活のためだけに職場に出ているような、張りのない日々を送ることになっていたのです。

ところが、ある先輩のおかげで状況が一変しました。その先輩は私のことを見放さず、面と向かって「これ以上、甘えるんじゃない」と一喝してくれたのです。そして、同僚たちの前で謝罪する機会をつくってくださり、もう一度、真剣に仕事に向き合えるチャンスを与えてくれました。自分のために親身になってくれたことが心底うれしく、この店にいるかぎりはこの先輩のためにもがんばろう、と決意しました。

この先輩からは仕事の面でもさまざまなことを学ばせていただきました。大きな店舗だとついつい画一的な仕事になってしまいがちなのですが、先輩はつねにお客さま一人ひとりと向き合い、その人がもっとも喜んでくれるようなすしやサービスを提供していました。お客さまの声に耳を傾けるというスタンスは、この先輩から学んだことのように思います。

イラスト 修行中のエピソード

すし職人の仕事はたんにすしや料理をつくればいいというわけではありません。お客さまと向き合い、コミュニケーションを通して好みを見極め、満足してもらわなければなりません。ですから、調理のスキルだけではなく、コミュニケーション能力やお客さまの要望に応えられるだけの柔軟な発想力が必要です。また、そのためにはつねに向上心を持って新しい素材や料理のことを学び、吸収しつづけなければなりません。一朝一夕でなしえることではありませんが、一流のすし職人になるにはこれらのことを継続していかなければならないと思います。

イラスト すし職人に求められるモノ


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