目次
キャリアサマリー
1992年
中央大学法学部卒業
1998年
東京・築地の仲卸店に10年間勤務
2008年
東京・六本木の鮨店で5年間修業
2013年
「鮨 松葉屋」開業
築地の仲卸店で10年間勤務した後、六本木の鮨店での5年間の修業を経て、2013年に生まれ育った日本橋で「鮨 松葉屋」を開業しました。「魚は香りが命 にぎりは人肌にこだわる」をモットーに、流行に流されない、みずからの鮨を探求しています。
仲卸店での勤務経験が長いこともあって、よく「目利きができていいね」と言われることがありますが、それ以上に大切なのは、誰が市場でいい魚を扱っているかを知っていること、そしてその人からきちんと魚を卸してもらえるかどうかです。その点、市場で働いてきた経験のおかげで、今も市場には友人・知人が多く、いい魚も情報も仕入れやすいというのが私の強みです。そして、この最高の素材を生かした鮨や料理を提供し、お客さまに喜んでいただくことを何より大切にしています。
すし職人としてのモットー
こだわりは「魚は香りが命 にぎりは人肌にこだわる」の一語に尽きます。
「魚の香り」を意識するようになったのは28歳くらいのときのことです。浅草の「紀文寿司」という老舗に通うようになり、大将に魚のことをいろいろと教えてもらっていたのですが、その際に「魚は香りだ」と言われて以来、魚の香りを常に意識するようになりました。ちなみに、大将の関谷文吉さんは『魚味礼讃』(中央公論新社)という本も著しており、そこでも魚の香りについてさまざまな見識を披露しています。
実際、魚の香りは実に奥が深く、たとえば同じ魚種でも季節によって香りが変化したりします。たとえば、マグロを例にとってみますと、夏と冬とでその香りは随分違います。冬のマグロは脂がタップリとのっていて脂の甘い香りが強いのですが、夏のマグロは冬よりは脂が少なく、甘い香りのなかにきれいな酸味が立ち上がり、これぞ本マグロという香りを感じることができます。この香りはマグロの血に由来するものなんですが、私はこのマグロならではの香りが大好きなので、店でも夏のマグロ、特に定置網漁で揚がったやわらかい肉質のマグロを好んで使っています。
次にシャリについてお話ししたいと思います。最近は赤酢のみを使ったシャリが流行っていますが、うちでは赤酢と米酢、そしてリンゴ酢を独自の割合でブレンドしたものを使っています。そもそも赤酢は酒粕を原料としたもので、その価格が安かったことも相まって、江戸時代は屋台で提供されていた江戸前寿司で使用されるようになりました。そのため、「江戸前といえば赤酢のシャリ」というイメージがあるのかもしれません。
しかし、これは私見ではありますが、イカや白身魚のように繊細な香りを持ち味としたネタには合わないのではないでしょうか。ですから、うちでは赤酢に固執することなく、そして魚の香りを最大限に生かすことができるよう、独自のブレンド酢を使い続けています。
ちなみに、そのブレンド酢に合わせる米にもこだわりがあり、食味と口ほどけを生み出すために、5種類の銘柄をブレンドしたものを使用しています。
すし・料理へのこだわり
私の実家はもともと現在の店舗からほど近い日本橋堀留町にありました。そして「まつばや」という屋号ですき焼き屋を営んでいて、私は子どもの頃から漠然と家業を継ぐものと考えていました。その後、私が大学生のときに祖父が亡くなったのですが、司法試験の勉強をしていたこともあり、そのときは店を継がず、塾講師のアルバイトをしながら勉強を続けることにしました。
ですが、28歳で結婚したのを機に、私は司法試験をあきらめて、仕事に就くことを決意しました。そして、その頃にはすでに「まつばや」は閉店していたのですが、いずれはその屋号を使いたいと思い、和食の道を歩むことにしたのです。
そういった試行錯誤をする中で注目したのが仲卸という仕事でした。料理を学ぶ前に食材のことを知り、同時に和食の師匠となってもらえるような人に出会うべきだと考えました。しかし、最初に勤務したのは、スーパーマーケットをメインの顧客としている仲卸店でした。売り上げも好調で仕事自体はとても楽しかったのですが、もっと自分が好きな魚種も扱いたい、師匠を見つけたいという思いから、1年後にはフグを中心とした仲卸店に転職することに。そこではフグをはじめとした高級魚なども取り扱わせていただき、そのかたわらフグの調理師免許も取得しました。と同時に、市場の仕事が終わった後にはフグ屋でバイトをし、調理の経験も積んでいきました。
こうして築地で働き始めてから10年が経ち、いよいよ本格的に和食の道に進むことに。縁あって六本木の鮨屋で働かせてもらえる機会を得ることができました。以前からあこがれていた店だったので、本当にうれしかったですね。その後、修業生活であらためて鮨の魅力に気づき、「松葉屋」の屋号で鮨屋を開くことを決意しました。