地引淳さんの写真

じびきじゅん

地引

初代世界チャンピオンが目指す”町のすし屋”のニューウェーブ

店 舗
淳ちゃん寿司
出身地
東京都
店舗エリア
東京都八王子市
その他
東方通信社:月刊コロンブス掲載記事(2021年2月号)はこちら

目次

キャリアサマリーの写真

寿司イラスト キャリアサマリー

  • 2000年

    親戚が経営している「すし おおまさ」などで腕を磨いた後、30歳から回転ずしチェーン店の「独楽寿司」での勤務を開始

  • 2015年

    「独楽寿司」での勤務期間中、「グローバル寿司チャレンジ」に出場し、初代チャンピオンの座に輝く

  • 2020年

    9月に「淳ちゃん寿司」を開業

 江戸前や回転ずしの技術を徹底的に学び、すし職人の腕を競う「グローバル寿司チャレンジ」で優勝した後に、「淳ちゃん寿司」を開業。最寄り駅は京王高尾線山田駅(東京都八王子市)とけっして好立地とはいえないが、町のすし屋として味とコストパフォーマンス、そして趣向を凝らしたメニューにこだわり、コロナ禍真っ只中のオープンだったにもかかわらず、都心や地元の顧客の心をしっかりと掴んでいる。

 すし職人としては、基本の味がブラさないこと、そして町のすし屋としてお客さまにゆっくりと気兼ねなく食事を楽しんでもらうことをモットーにしています。もちろん、私たちが扱う魚介は生き物なので、すべてが同じ品質ではありません。だからこそ、仲卸と信頼関係を構築し、最善の仕入れに努めるとともに、職人として培ってきた技術を最大限に生かし、自分が納得できる水準のすし・料理をつくることが重要なのです。

 そういう思いのもとで立ち上げた当店は2020年9月にオープンしました。実をいうと、当初は広尾(東京都渋谷区)界隈の物件で開業準備を進めていたのですが、コロナ禍による緊急事態宣言などの状況を考慮し、最終的に京王高尾線山田駅(東京都八王子市)を最寄り駅とする物件で開業することにしました。いろいろと悩みましたが、ウィズコロナの時代にあっては郊外のほうがお客さまにゆっくりとすし・料理を楽しんでいただけるのではないかと考えたのです。また、新鮮な食材を仕入れられる八王子綜合卸売市場が近くにあるのも大きかったですね。

 そうはいっても、実際にオープンしてみるまでは不安もありました。が、飲食店プロデューサーとして有名な光山英明さん(「肉山」などのオーナー)にアドバイスをもらいながら、話題性のあるメニューを考案したり、SNSでの情報発信に注力したり、オペレーションを改善したりしていくうちに、オープンからわずか1カ月後には都心からのお客さまで予約が埋まるようになりました。最近は都心からのお客さまが落ち着いてきたので、地元のお客さまにも当店の味を楽しんでもらっています。

イラスト すし職人としてのモットー

 「おいしいものを食べたい」と思ったときに、気軽に立ち寄れるようなすし屋でありたいと考えたので、食べて飲んで5000~6000円で満足していただけるようなメニュー構成にしています。メニューづくりにあたって参考にしたのは「大阪ずし」の提供スタイルです。安くてうまいことで知られる大阪ずしですが、もうひとつの特徴にお客さまが刷毛ですしに醤油を塗って食べるというスタイルがあります。焼肉のように自分でひと手間かけるというのも飲食店での楽しみのひとつになるのではないかと思い、このスタイルを取り入れてみたところ、お客さまにも好評でいまや店のスタイルとして定着しています。また、玉赤(赤だしの味噌汁に卵を落としたもの)の提供なども大阪ずしにならって取り入れていますし、居酒屋風のちょっとしたおつまみも充実させています。

 数あるメニューのなかでも人気なのは三貫セットです。とくに「まぐろ三貫」はトロ、中トロ、赤身を一通り味わえるとあって人気を集めています。また、子ども向けに面白半分で考案した「エビフライ巻き」が「エビがはみ出している」と話題を呼び、テイクアウトでも人気の一品になっています。エビフライは一つひとつ手仕込みなので、毎日なかなか大変なのですが、こうも人気になるとやめるにやめられませんね。

 もちろん、すし・料理をさらにおいしく味わっていただけるよう、ドリンクにも細心の注意を払っています。生ビールは薄張りのグラス、日本酒はワイングラスで提供しているほか、日本酒のラインアップについては月替わりや週替わりの銘柄にも力を入れています。また、ハイボールに関しては凍らせたウイスキーを使用することで、よりキレのある飲み口になるように仕上げています。

イラスト すし・料理へのこだわり

 私の父は落語家(初代三遊亭歌橘)だったのですが、とにかく食べることが大好きで、子どもの頃からよく食べ歩きに連れて行ってもらっていました。おかげで、自然と食に関して興味を持つようになりましたし、小学生の頃には調理クラブにも所属していました。また、振り返ってみると小学4年生くらいのときには近所のおでん屋さんと顔なじみになっていて、お小遣いを握りしめておやつ代わりにおでんを頼んでいました。その頃から食道楽だったのかもしれません。

 本格的に料理に興味を持つようになったのは高校生のときのことです。大手飲食チェーンでアルバイトをした際に、広々としたキッチンで調理できるのが楽しくて、ついついお客として来ていた友人たちにメニューにはないようなものをつくって、出してしまったんです。友人たちが「うまい!」と言って食べてくれるのを見て、私自身、心の底からうれしい気持ちになったのを覚えています。もちろん、それ自体は悪いことですからすぐにバレてクビになってしまいましたし、今となっては反省しているのですが、あのときの経験があったからこそ今の自分があるようにも思います。

 こうした料理好きが高じて、高校卒業後は親戚が京王線高幡不動駅前(東京都日野市)で営んでいる「すし おおまさ」で働かせてもらうことに。実をいうと当時はすし職人に対してさほど憧れを抱いていたわけではなかったのですが、最終的に8年も修行させていただき、その間にすしの奥深さを知り、すし職人として生きていくことを決意しました。

イラスト すし職人を目指したきっかけ


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