尾崎雅也さんの写真

おざきまさや

尾崎雅也

安定感と柔軟性を兼ね揃えた
カスタマーファーストの技と心意気

生年月日
1976年9月13日
店 舗
目白鮨おざき
出身地
東京都
店舗エリア
東京都豊島区目白
その他
東方通信社:月刊コロンブス掲載記事(2020年10月号)はこちら

目次

キャリアサマリーの写真

寿司イラスト キャリアサマリー

  • 1976年

    東京生まれ

  • 1995年

    服部栄養専門学校卒業

  • 1996年

    「鮨源高田馬場本店」で勤務(~2017)

  • 2017年

    「目白 鮨おざき」を独立開業

「鮨源高田馬場本店」で21年間にわたって修行を積んだ後、2017年に「目白 鮨おざき」を開業しました。私が独立したのは、常連のお客さまからのお声がけがきっかけでした。「自分にしかできない店」をつくりたいという思いがあったからうれしかったですね。店を開いてからは「すし屋のカウンターはお客さまに喜んでもらう場」というモットーで、つねにお客さまの声に耳を傾けながらすしや料理を提供させていただいています。

当店では、私がお客さまの気分や好みをうかがい、その日の食材を使って、お客さまの箸の進み方などを見ながら提供させていただくようにしています。ただ、お客さまが食べたい料理がそれ以外にあれば、できるかぎり対応させていただきます。たとえば、アジフライをオーダーいただいた場合には、最高のアジを使い、その食感や風味を存分に味わえるよう、薄衣のフライにして提供するといった感じです。カウンター越しにお客さまの好みを把握し、それに寄り添うようなすしや料理、酒を提供し、満足していただく――。これこそがまさに私が理想とするすし屋のあり方です。

 そして、もう一つ大切にしているのが「やさしさ」です。10年ほど前、自分の子どもの手を握るときに、その握り方が実に自然でやさしいものだと気づいたことがあります。以来、この〝やさしい握り〟で人にやさしい気持ちになってもらえるようなすしをつくりたいと思ってきました。修業時代にあるお客さんに「尾崎さんのすしを食べると、落ち着いたやさしい気持ちになれる」と言っていただけたことは、大きな自信につながりましたし、独立への一つのきっかけにもなりました。

イラスト すし職人としてのモットー

「自分にしかできない店」をつくりたいという思いが強かったので、修業時代に培ってきた技術をベースに、自分なりに最高と思える仕事をあらためて追求し直しました。シャリの仕込みはもちろん、魚の締め方なども自分なりに磨きをかけた独自のものになります。

たとえば仕込みについては、私たちすし職人の仕事は魚本来のおいしさを引き出すことですが、かといって毎日同じような仕事をすればいいというわけではありません。個体差や寝かす時間によって魚の旨みや食感は大きく異なるので、仕入れた魚の状態に合わせた〝仕事〟が大切になってくるのです。だから昆布締め一つとっても、塩の加減から何から毎日、変えながら最高の仕上がりを目指しています。とくにコハダはベストな柔らかさと塩加減になるよう、自分なりに追求した仕事をしているのでぜひ味わっていただきたいですね。

 シャリにもいろんなこだわりが詰まっています。イメージとしてはどんなネタとも相性が良く、ネタと一緒に口のなかできれいに綻んでいくような塩梅です。開業前の数カ月はいろんな地域や品種の米や赤酢、酢を仕入れて、毎日のように組み合わせや配分を変え、理想のシャリを追求しました。今にいたってはかなり納得がいくところまできましたが、まだ道半ばです。どんなネタにも合わせられる最高のシャリを目指し、これからも改善をつづけていくつもりです。

当然、仕入れにも自信ありです。修業時代は自分で市場に足を運ぶことはほとんどなかったのですが、今は市場通いが日課。さまざまなご縁のおかげで、素晴らしい仲買いの皆さんと取引をさせていただいています。その際にもっとも大切にしているのは季節感や品質です。たとえば、春ならばカスゴにこだわります。これは体長10㌢㍍ほどの小鯛のことで、「春子」と書くように春を告げる魚です。当店では主に皮の硬さが丁度いい、チダイの子を仕入れるようにしています。最近は物流インフラや養殖技術が発展したおかげで、だいたいどんな魚でも一年を通して食べることができますが、やはり旬の天然物にはこだわりを持っています。すしを通して、日本の四季の豊かさをお伝えするのも、すし職人の大切な使命なんです。

ちなみに、開業にあたっては内装にもこだわりました。たとえば焼き場は、料理の過程も見て楽しんでほしいという考えから、カウンターの奥にガラス越しに設置しています。

イラスト すし・料理へのこだわり

 振り返ると、母の影響が大きかったです。母子家庭で育ったのですが、調理師だったこともあってか、食事にはとても気を遣ってくれていました。家庭での食事はもちろん、ときには外食にも連れて行ってくれましたし、そのときには好きな物を食べさせてくれました。なかでも印象に残っているのが、家の近所にあったすし屋です。町のすし屋でしたが、新鮮なネタが多くて、マグロやウニのうまさにやみつきになっていました。高校卒業後は専門学校に進学し、1年間で和・洋・中・製菓をひと通り学んだのですが、自分の舌にも感覚にも合ったのは、やはり“すし“でしたね。学校を卒業した後は多くの財界人や著名人を常連客に抱える「鮨源高田馬場本店」で21年間修業を積み、2017年に「目白 鮨おざき」を独立開業しました。

イラスト すし職人を目指したきっかけ


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