目次
キャリアサマリー
1976年
神奈川県生まれ
1991年
「みなと寿司本店」で勤務(~1995)
1993年
町田調理師専門学校卒業
1995年
「寿司 好」で勤務(~1997)
1997年
複数の店での派遣業務(~1999)
1999年
「びっくり寿司」で勤務(~2002)
2002年
「藤松」で勤務(~2003)
2003年
派遣業務(~2004)
2004年
「築地すし大本店」で勤務(~2005)
2005年
「築地すし大銀座店」で店長として勤務(~2007)
2007年
派遣業務(~2009)
2009年
北海道でイベント会社を設立(~2015)
2015年
派遣業務(~2018)
2018年
「九段下 寿司政 旬八海」で店長として勤務
中学を卒業してすぐに修業を始め、現在の「九段下 寿司政 旬八海」に至るまでに200店以上の店で勤務しました。一般的な回転寿司から超高級寿司屋まで幅広いグレードの店で寿司を握りました。どの店においても必ず学ぶべきことはありました。その経験を生かして江戸前の伝統をコミュニケーションも含めて楽しんでいただけるような場づくりを心がけています。
さまざまな店を回りましたが、現在の店が最も江戸前寿司の伝統・基本を大事にしていると感じています。ネタなどはある程度店長である自分の裁量でアレンジしていますが、「煮る」「締める」「焼く」といった江戸前の仕事については店の方針をしっかりと守っています。
そのこだわりは、ガリやカンピョウにもおよびます。店のグレードに関係なく、いまや多くの店が既製品を使っていますが、当店では手間暇を惜しまず、ガリもカンピョウも手作りしています。既製品が主流となったことで職人の技術が急速に失われつつありますが、そういったなかにあっても丁寧な仕事を貫くのが当店のやり方。食べていただければ、その違いをわかっていただけると思います。
もちろん、シャリにも同様のこだわりがあります。江戸前の伝統に則り、赤酢を使ってしょっぱめのシャリに仕上げています。とはいえ、シャリにはまだまだ進化の可能性があると思うので、米のブレンド具合や酢の配合などを研究し続けています。
他方、仕入れに関しては、仲買人にすべてを任せしています。それはこの仲買人に対する絶大な信頼の証であり、実際、この仲買人のおかげで、私たちはいつも良いネタを仕入れられているし、困ったときにはおたがいに融通を利かせ合うことができています。この理想的な信頼関係を築くのも、寿司職人の技量の一つではないでしょうか。
寿司・料理へのこだわり
実をいうと、私はみずから進んで寿司職人になりたかったというわけではありません。中学卒業後にやんちゃをしていた私を見かねた父親が、知り合いの寿司屋に修業に送り込んだことからキャリアをスタートさせました。また、その直後に「町田調理師専門学校」にも入学し、修業と並行して調理を学びました。
そして、4年後には親方に「外を見て来い」と言われ、東京の寿司屋に飛び込みで入り、一人前になってからは組合からの派遣という形で多い年には年間150軒以上の寿司屋で働きました。元来の性格もあってか、店にはすぐに馴染むことができたので苦労はあまり感じませんでした。むしろ、さまざまな種類の店で学べた経験は今の自分にとって宝です。
一時は独立したりもしましたが、最終的には今の店に落ち着きました。江戸前の仕事に共感したこともありますが、「寿司政」の5代目に恩義を感じたことも大きいです。
ちなみに、私が店長を務める「九段下 寿司政 旬八海」は西武百貨店のデパ地下にある店舗です。そのため、普通の店よりも客層が幅広く、コミュニケーションが充実しており、それがやりがいにもなっています。
寿司職人を目指したきっかけ
最初に入った「みなと寿司」での修業時代は、専門学校との掛け持ちだったこともあって非常にハードでした。夕方に店に入って朝方まで店の手伝いをし、それから賄いを作りそのまま市場に買い付けに行く。それが終わるのが朝の6時くらいで、それから少し寝て学校に行き、夕方になったらまた店に行くという生活の繰り返しです。ハードなスケジュールでしたが、寿司職人としての基本はこの店にいる間に学びました。
たとえば、今も生きていると感じることの一つに賄い作りがあります。寿司屋の賄いといったらネタの余りを使った海鮮丼のようなものを思い浮かべるかもしれませんが、実際は寿司とはまったく関係のないカレーや炒め物、スパゲティなどを作っていました。おかげで、料理に対する視野を広げることができ、その後のメニュー開発などに生かすことができました。